今週の1枚

No.462  吉田学軒顕彰碑(昭和の元号の創案者)  〜みやこ町勝山〜



私が吉田学軒の名前を知ったのは、最近のことである。 福岡県みやこ町を通る国道201号線を勝山から行橋方面へ向かっていると、ちょうどJAの勝山直売所「採りたて市場・美夜古かつやま」を過ぎた信号の左側に 「吉田学軒顕彰の碑」の看板を見ることができる。看板には「昭和の元号のを創案した吉田学軒」と書いてある。 いつも国道を通りこの看板を目にする度に気になっていたので、先日、やっと立ち寄ってみた。 JA直売所の駐車場に車をとめ、歩いて行くと、1,2分ほどで着いた。 「吉田学軒顕彰の碑」はみやこ町商工会館勝山支所の入り口敷地内の一角に設けられていた。 顕彰の碑の一角には吉田学軒の肖像の碑と生い立ちや実績が書かれた碑が立てられている。
吉田学軒はみやこ町の勝山出身の漢学者で、「昭和」の元号の創案者である。 吉田学軒は1866年(慶応2年)に生まれ、亡くなったのが1941年(昭和16年)であるから、江戸時代の末期に生まれ、明治、大正、昭和とまさしく近代日本の激動の時代を駆け抜けた人である。
吉田学軒の足跡は記念碑に詳しく書かれている。 碑に書かれた説明書きを引用すると吉田学軒はここ勝山で生まれた後、村上仏山の私塾「水哉園」で学び、その後上京、そしてアメリカ留学を経て、宮内省に入っている。 その後、教員として教鞭をとった後、大正9年1920年に再び宮内省に戻り図書寮の編修官になっている。 その時の上司が森鴎外であり、森鴎外は吉田学軒の漢学の才能を認め、元号研究の補助をやらせ、森鴎外亡き後は元号研究は学軒に引き継がれた。
大正天皇が崩御された時、学軒は宮内大臣から新しい元号の創案を命じられ、その時創案した一つが「昭和」であった。 「昭和」は「書経」の一文「百姓昭明 協和萬邦」から「昭」「和」の二字をとったもので、国民の平穏な暮らしと世界各国の共存共栄を願う意味が込められた名前であるらしい。
今の元号は「平成」であるが、私は「昭和」30年代生まれであり、「昭和」が一番なじみがある元号である。 その元号の創案者が、私の住む苅田町の隣のみやこ町出身であることを知り驚いたと同時に誇りに思いながら碑を後にした。 帰りに近くのJA直売所の寄ると、なんと吉田学軒の名のついた日本酒があったので、早速買って帰った。
Taka記、撮影:2014年8月9日

国道210号線、勝山のJAの近くの交差点に案内の看板がある。

国道から入り20mで「みやこ町商工会勝山支部」があり、その入口の左側にある。

入口側から顕彰の碑を見たところ

顕彰の碑の全景

顔写真のレリーフ碑と説明書きの碑がある



銘酒「昭和」 (林酒造)

 「吉田学軒顕彰碑」の場所

みやこ町勝山の国道201号線の近く、みやこ町商工会勝山支所の一角にある。 JA直売所「採りたて市場・美夜古かつやま」から歩いて数分である。



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